2023年03月03日 (金) | 編集 |
昨日、ブログを書いた後に
一番片付けたかったところを片づけたようです。
今朝片づけたんだったかな…。
あんまり記憶がないんですが、今は綺麗になっています。
そういえば、眠れなくて眠剤足して、フラフラになって
何度か転倒した記憶があるけど、あれが昨日だったのかな…。
今日はカウンセリングでした。
カウンセラーさんにこれからの「ライフイベント」を考えるとツラい、
というような話をしてきました。
例えば幼稚園児だったら「大きくなったら幼稚園の先生になる!」とか
中学・高校の時は「大学行きたい」って思っていたり
大学出てからも、英語を勉強して
35歳までにTOEIC950以上と英検1級を取る…はずでした。
(まあそれに関しては今からでも努力次第で
できなくはない…かもしれないですが)
入学式。卒業式。就職。結婚。妊娠。出産。
将来は「希望」しかなかったんですよ。
それが、今では私自身のことでも
老眼やら腰痛やら糖尿病やら
昔は歩くのが早かったのに、今はゆっくりになってしまい
しかもちょっと歩いただけで疲れたりと
いろいろ「老化現象」(一部はただの運動不足かもしれませんが)が
出てくるわけで…。
母や叔母は当然ながら私より年上なので
私以上に老化現象があるかと思います。
そして、恐らく、私より先にこの世を去ると思います。
そういったことを考えると、これから先のライフイベントと呼べるもので
「楽しみ!」というものが何もないです。
むしろ、ここで時間が止まって欲しい。
というような話をカウンセリングでする…つもりだったんですが、
何が心配かを聞かれて
母や叔母が亡くなった後に私が相続することになる(かもしれない)
複数の「ゴミ屋敷」のことを相談すると
「相談支援事業所」というものの存在を教えてくださいました。
へー。そういうものがあるのか…と
手帳に「相談支援事業所」とメモを取って
カウンセリングを終えたのですが…。
いや、そうじゃなくて。
母や叔母がいなくなるのが嫌なんですよ。
それはどうしようもないことで、避けられないことで、
近親者の死なんていうものは
太古の時代から誰もが経験してきたことであって
私だけその経験をしなくて済むということはちょっと難しいです。
(私が先にいなくなれば、私がその経験をしなくて済むということが可能ですが)
以前、もし母が認知症になってしまい
私のことが分からなくなって、
優しい母なのにわがままや自分勝手になったりしたら
どうしよう…みたいな
それもまた「どうしようもないこと」をカウンセリングで言ったことがあって
カウンセラーさんは
「まあ、そういう可能性がゼロではない、ということを
頭に入れておいた方がいいです」と話されました。
もちろん、もっともなんですが
なんか、否定してほしかったんですよ。
「そんなことにはならないですよ」
「大丈夫ですよ」って。
カウンセラーさんは医者ではないし、私の母に会ったこともないし、
何の根拠もなく「大丈夫」なんて返答をしたら
その方がよほど無責任…なのは頭では分かっているんですが。
打ち消して欲しかったです。
今、誰かが私に
「この壺を買えば、誰も死なずにずっと一緒にいられます」って
売りに来たら
即、買いそうです。
買わないですけどね。
買わないのは、それがありえないと分かっているからではなく、
単にお金がないからです。
お金があればその壺が何千万円もの金額でも買うと思います。
お金欲しい…(´・ω・`) ←なんか趣旨が変わっている
今日の画像は、そんなカウンセリング終了後の空の写真です。

高層ビルの谷間に月が見えました。
青空っぽく見えるかもしれませんが、
カウンセリング後に薬局でお薬を受け取った後の写真なので
18時10分くらいかな?
その後、ほどなく真っ暗になりました。
あまり意味のない追記。
人間っていうのは、自力でどうすることもできないとき
割と簡単に宗教にハマってしまうものかもしれません。
「人知を超える何か」の存在を信じたくなる気持ちが分かります。
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一番片付けたかったところを片づけたようです。
今朝片づけたんだったかな…。
あんまり記憶がないんですが、今は綺麗になっています。
そういえば、眠れなくて眠剤足して、フラフラになって
何度か転倒した記憶があるけど、あれが昨日だったのかな…。
今日はカウンセリングでした。
カウンセラーさんにこれからの「ライフイベント」を考えるとツラい、
というような話をしてきました。
例えば幼稚園児だったら「大きくなったら幼稚園の先生になる!」とか
中学・高校の時は「大学行きたい」って思っていたり
大学出てからも、英語を勉強して
35歳までにTOEIC950以上と英検1級を取る…はずでした。
(まあそれに関しては今からでも努力次第で
できなくはない…かもしれないですが)
入学式。卒業式。就職。結婚。妊娠。出産。
将来は「希望」しかなかったんですよ。
それが、今では私自身のことでも
老眼やら腰痛やら糖尿病やら
昔は歩くのが早かったのに、今はゆっくりになってしまい
しかもちょっと歩いただけで疲れたりと
いろいろ「老化現象」(一部はただの運動不足かもしれませんが)が
出てくるわけで…。
母や叔母は当然ながら私より年上なので
私以上に老化現象があるかと思います。
そして、恐らく、私より先にこの世を去ると思います。
そういったことを考えると、これから先のライフイベントと呼べるもので
「楽しみ!」というものが何もないです。
むしろ、ここで時間が止まって欲しい。
というような話をカウンセリングでする…つもりだったんですが、
何が心配かを聞かれて
母や叔母が亡くなった後に私が相続することになる(かもしれない)
複数の「ゴミ屋敷」のことを相談すると
「相談支援事業所」というものの存在を教えてくださいました。
へー。そういうものがあるのか…と
手帳に「相談支援事業所」とメモを取って
カウンセリングを終えたのですが…。
いや、そうじゃなくて。
母や叔母がいなくなるのが嫌なんですよ。
それはどうしようもないことで、避けられないことで、
近親者の死なんていうものは
太古の時代から誰もが経験してきたことであって
私だけその経験をしなくて済むということはちょっと難しいです。
(私が先にいなくなれば、私がその経験をしなくて済むということが可能ですが)
以前、もし母が認知症になってしまい
私のことが分からなくなって、
優しい母なのにわがままや自分勝手になったりしたら
どうしよう…みたいな
それもまた「どうしようもないこと」をカウンセリングで言ったことがあって
カウンセラーさんは
「まあ、そういう可能性がゼロではない、ということを
頭に入れておいた方がいいです」と話されました。
もちろん、もっともなんですが
なんか、否定してほしかったんですよ。
「そんなことにはならないですよ」
「大丈夫ですよ」って。
カウンセラーさんは医者ではないし、私の母に会ったこともないし、
何の根拠もなく「大丈夫」なんて返答をしたら
その方がよほど無責任…なのは頭では分かっているんですが。
打ち消して欲しかったです。
今、誰かが私に
「この壺を買えば、誰も死なずにずっと一緒にいられます」って
売りに来たら
即、買いそうです。
買わないですけどね。
買わないのは、それがありえないと分かっているからではなく、
単にお金がないからです。
お金があればその壺が何千万円もの金額でも買うと思います。
お金欲しい…(´・ω・`) ←なんか趣旨が変わっている
今日の画像は、そんなカウンセリング終了後の空の写真です。

高層ビルの谷間に月が見えました。
青空っぽく見えるかもしれませんが、
カウンセリング後に薬局でお薬を受け取った後の写真なので
18時10分くらいかな?
その後、ほどなく真っ暗になりました。
あまり意味のない追記。
人間っていうのは、自力でどうすることもできないとき
割と簡単に宗教にハマってしまうものかもしれません。
「人知を超える何か」の存在を信じたくなる気持ちが分かります。
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